【’13夏 ヒバクシャ】那須正幹さん インタビュー
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【’13夏 ヒバクシャ】那須正幹さん インタビュー
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「ヒバクシャ」について
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動画を再生 ヒバクシャ:「オバマ氏は広島再訪を」坪井直さん
ヒバクシャ:「オバマ氏は広島再訪を」坪井直さん
核大国・米国のリーダーが交代した。核をめぐる状況が混沌とする中だからこそ、改めてヒバクシャの声に耳を傾けたい。広島の爆心地から約1.2キロ地点で被爆した坪井直(すなお)さん(91)。昨年5月、現職の米大統領として初めて広島を訪問したオバマ氏と手を握り、核廃絶への思いを新たにした。【撮影・山田尚弘、写真は小関勉、代表撮影】2017年1月30日公開
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動画を再生 2020ヒバクシャ 高東征二さん 執念の「黒い雨」降雨図 遺志継ぐ
2020ヒバクシャ 高東征二さん 執念の「黒い雨」降雨図 遺志継ぐ
1945年8月6日に米軍が広島に原爆を投下してから75年。あの日、放射性物質を含む「黒い雨」に遭ったものの、今も国の援護を受けられない人がいる。記録報道「2020ヒバクシャ」の3回目は、病に侵されながら、国に被爆者と認めさせるため闘い続ける元高校教諭の姿を通して、黒い雨を巡る運動の歴史をたどりたい。【撮影・山田尚弘】2020年5月2日公開
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動画を再生 ヒバクシャ:「ぼくは原ばくがだいきらいです」 父の苦しみ作文に その子は今
ヒバクシャ:「ぼくは原ばくがだいきらいです」 父の苦しみ作文に その子は今
懐かしい教え子との40年ぶりの対面に自然と顔がほころんだ。長崎市の被爆者、山川剛(たけし)さん(87)は6月、同市の原爆資料館で小峰英裕(ひでひろ)さん(50)と再会した。1984年、山川さんが市立西町小で4年生の担任教諭を務めた時の児童の一人。山川さんは、こんな書き出しで小峰さんが当時つづった作文を大切に保管してきた。「ぼくのお父さんは西町で原ばくにあいました」――。【撮影・平川義之、尾形有菜】2024年7月9日公開
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動画を再生 ヒバクシャ:世界を巡る船の中で、92歳の男性が伝えたかったことと心残り
ヒバクシャ:世界を巡る船の中で、92歳の男性が伝えたかったことと心残り
日本から世界を巡る船旅に出ませんか。90歳を過ぎた身に舞い込んだオファーを快諾した。船内で、特に若い人たちにどうしても伝えたいことがあったからだ。長崎市で被爆し、今は埼玉県新座市で暮らす田中熙巳(てるみ)さん(92)が乗る船は4月13日、横浜港を出港した。約3カ月かけて世界一周する「ピースボート」の船で、田中さんはこのうち南アフリカのケープタウンまで約1カ月間の船旅をする。【撮影・安藤いく子】2024年7月7日公開
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動画を再生 2020ヒバクシャ 朝長万左男さん 親子で白血病究明 「なぜ戦争」問い続ける被爆医師
2020ヒバクシャ 朝長万左男さん 親子で白血病究明 「なぜ戦争」問い続ける被爆医師
「被爆したのはどこやったかな」。3月上旬、長崎市三ツ山町の特別養護老人ホーム「恵の丘長崎原爆ホーム」の診療室で、医師の朝長万左男さん(76)が、入居者の女性(91)に話しかけた。原爆が投下されたあの日、女性は16歳だった。市中心部にあった公設市場の2階にいた時のすさまじい光景を、静かに、そして事細かに語り出した。【撮影・徳野仁子、浅野翔太郎】2020年3月22日公開
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動画を再生 ヒバクシャ なぜ生き残ったのか 負い目感じながら見つけた「使命」
ヒバクシャ なぜ生き残ったのか 負い目感じながら見つけた「使命」
あの日、13歳だった。同級生192人が亡くなる大惨事を生き延びたが、ずっと負い目を感じながら過ごしてきた。92歳の今、「当時の記憶を伝えたい」との思いで、絵を描き続けている。【撮影・井村陸】2024年5月18日公開
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