ヒバクシャ 2017秋/2 坪井直さん(92)
6:07
今春に腰を痛めて以降、坪井直さん(92)=広島市西区=は数回しか公の場に顔を出していなかった。10月下旬、ふらつく足元をつえで支えながら、グレーのスーツ姿で広島県原爆被害者団体協議会の事務所に現れた。【撮影・山田尚弘】2017年11月14日公開
関連動画
「ヒバクシャ」について
-
動画を再生 ヒバクシャ:「今でも恨んでいますか?」 79年前、母を殺された私への問い
ヒバクシャ:「今でも恨んでいますか?」 79年前、母を殺された私への問い
79年前、故郷を破壊され、母親を殺された。「今でも恨んでいますか」。そう問うてきたのは、イスラエルとパレスチナの若者だった。森下弘(ひろむ)さん(93)=広島市佐伯区=は中学3年だった1945年8月6日、爆心地から南東約1.5キロの鶴見橋西詰め(現広島市中区)で被爆した。顔や首に大やけどを負い、自宅にいた母は亡くなった。【撮影・加古信志】2024年7月8日公開
3:06
-
動画を再生 2020ヒバクシャ 山川剛さん講話 コロナで消えた 被爆教師 初志貫く50年
2020ヒバクシャ 山川剛さん講話 コロナで消えた 被爆教師 初志貫く50年
広島、長崎に米軍が原爆を投下して今年で75年。新型コロナウイルスの感染拡大は、若い世代へあの日を語り継ぐ活動に影を落としている。節目の夏を前に被爆者は今、何を思うのか。記録報道「2020ヒバクシャ」の4回目は、長崎で平和教育をけん引してきた被爆教師の物語を伝える。【撮影・松村真友、津村豊和】2020年5月30日公開
4:50
-
動画を再生 2020ヒバクシャ 近藤紘子さん 父「タニモト牧師」の背中追い 核なき世界への希望、若者に託す
2020ヒバクシャ 近藤紘子さん 父「タニモト牧師」の背中追い 核なき世界への希望、若者に託す
核兵器廃絶への合言葉「ノーモア・ヒロシマ」は「広島の悲劇を世界のどの国にも再現させたくない」という日本人牧師の言葉から生まれ、世界に広まったと言われる。記録報道「2020ヒバクシャ」の8回目は、被爆者救済と平和運動に半生をささげたこの牧師を父に持ち、葛藤を乗り越えて国内外で核廃絶を訴え続ける娘の歩みをたどる。【撮影・山田尚弘】2020年10月17日公開
4:43
-
動画を再生 2020ヒバクシャ 高東征二さん 執念の「黒い雨」降雨図 遺志継ぐ
2020ヒバクシャ 高東征二さん 執念の「黒い雨」降雨図 遺志継ぐ
1945年8月6日に米軍が広島に原爆を投下してから75年。あの日、放射性物質を含む「黒い雨」に遭ったものの、今も国の援護を受けられない人がいる。記録報道「2020ヒバクシャ」の3回目は、病に侵されながら、国に被爆者と認めさせるため闘い続ける元高校教諭の姿を通して、黒い雨を巡る運動の歴史をたどりたい。【撮影・山田尚弘】2020年5月2日公開
8:05
-
動画を再生 ヒバクシャ:「ぼくは原ばくがだいきらいです」 父の苦しみ作文に その子は今
ヒバクシャ:「ぼくは原ばくがだいきらいです」 父の苦しみ作文に その子は今
懐かしい教え子との40年ぶりの対面に自然と顔がほころんだ。長崎市の被爆者、山川剛(たけし)さん(87)は6月、同市の原爆資料館で小峰英裕(ひでひろ)さん(50)と再会した。1984年、山川さんが市立西町小で4年生の担任教諭を務めた時の児童の一人。山川さんは、こんな書き出しで小峰さんが当時つづった作文を大切に保管してきた。「ぼくのお父さんは西町で原ばくにあいました」――。【撮影・平川義之、尾形有菜】2024年7月9日公開
3:11
-
動画を再生 ヒバクシャ:坪井直さん 92歳の今も被爆体験証言を続ける
ヒバクシャ:坪井直さん 92歳の今も被爆体験証言を続ける
20歳の時に爆心地から約1・2キロで被爆し、昨年5月に広島でオバマ米大統領(当時)と握手を交わした日本被団協代表委員の坪井直さん。今月5日に92歳となったいまも被爆体験証言を続け、10日にも広島市内で中学生に向けて証言を行った。【撮影・山田尚弘】2017年5月16日公開
0:51