2020ヒバクシャ・川野浩一さん 「長崎を最後の被爆地に」被爆者運動のリーダーの思い
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核兵器の保有や使用を禁止する核兵器禁止条約の批准国・地域が50に達した10月24日、その輪の中に日本はいなかった。記録報道「2020ヒバクシャ」の9回目は「長崎を最後の被爆地に」と願えばこそ、政府にも厳しい言葉を投げかける被爆者運動のリーダーに焦点を当てる。【撮影・今野悠貴、徳野仁子】2020年11月15日公開
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核兵器廃絶への合言葉「ノーモア・ヒロシマ」は「広島の悲劇を世界のどの国にも再現させたくない」という日本人牧師の言葉から生まれ、世界に広まったと言われる。記録報道「2020ヒバクシャ」の8回目は、被爆者救済と平和運動に半生をささげたこの牧師を父に持ち、葛藤を乗り越えて国内外で核廃絶を訴え続ける娘の歩みをたどる。【撮影・山田尚弘】2020年10月17日公開
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「この傷は消えることは無いと思います」。1945年8月1日夜~2日未明にかけて、米軍は交通の要衝だった新潟県長岡市を焼夷(しょうい)弾を使い爆撃した。1488人の命が奪われた夜のことを、国民学校3年生だった白石美千雄さん(86)は、今でも鮮明に覚えているという。【撮影・渡部直樹】2023年2月22日公開
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太平洋戦争の終戦直前、旧満州(中国東北部)に侵攻したソ連軍の戦車部隊の攻撃や自決で1000人以上の日本人が犠牲になった葛根廟(かっこんびょう)事件。東京都練馬区の大島満吉さん(84)はわずか百数十人の生存者のひとりだ。【撮影・後藤由耶】2020年10月23日公開
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「寝ていた布団が、ぶすぶすと焦げるように燃えだした」。東京都八王子市に住む串田玲子さん(86)の脳裏には、77年たった今も戦争の記憶が生々しく残っている。1945年8月2日未明、米軍が焼夷弾約67万個を投下した「八王子空襲」。その直下に串田さんはいた。【撮影・渡部直樹】2022年8月27日公開
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