「寝ていた布団が燃えだした」 86歳が語り続ける八王子空襲
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「寝ていた布団が、ぶすぶすと焦げるように燃えだした」。東京都八王子市に住む串田玲子さん(86)の脳裏には、77年たった今も戦争の記憶が生々しく残っている。1945年8月2日未明、米軍が焼夷弾約67万個を投下した「八王子空襲」。その直下に串田さんはいた。【撮影・渡部直樹】2022年8月27日公開
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「背中じゅうに赤いやけど。小さな糸のようなウジ虫が(背中に)湧いているんです。お薬を塗ってあげるのかなと思ったんですが、箸みたいな棒を持たすんです。それが治療なんです」。11月7日、神奈川県大和市などが主催し、市内の学習施設で開いた「戦争体験を聞く会」。相模原市の元小学校教員、堀見智子さん(88)は約70人の聴衆を前に、ウジ虫を払い落とす動作を繰り返してみせた。【撮影・渡部直樹】2021年12月9日公開
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