2020ヒバクシャ 山川剛さん講話 コロナで消えた 被爆教師 初志貫く50年
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広島、長崎に米軍が原爆を投下して今年で75年。新型コロナウイルスの感染拡大は、若い世代へあの日を語り継ぐ活動に影を落としている。節目の夏を前に被爆者は今、何を思うのか。記録報道「2020ヒバクシャ」の4回目は、長崎で平和教育をけん引してきた被爆教師の物語を伝える。【撮影・松村真友、津村豊和】2020年5月30日公開
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「ヒバクシャ」について
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核兵器廃絶への合言葉「ノーモア・ヒロシマ」は「広島の悲劇を世界のどの国にも再現させたくない」という日本人牧師の言葉から生まれ、世界に広まったと言われる。記録報道「2020ヒバクシャ」の8回目は、被爆者救済と平和運動に半生をささげたこの牧師を父に持ち、葛藤を乗り越えて国内外で核廃絶を訴え続ける娘の歩みをたどる。【撮影・山田尚弘】2020年10月17日公開
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動画を再生 2020ヒバクシャ・川野浩一さん 「長崎を最後の被爆地に」被爆者運動のリーダーの思い
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核兵器の保有や使用を禁止する核兵器禁止条約の批准国・地域が50に達した10月24日、その輪の中に日本はいなかった。記録報道「2020ヒバクシャ」の9回目は「長崎を最後の被爆地に」と願えばこそ、政府にも厳しい言葉を投げかける被爆者運動のリーダーに焦点を当てる。【撮影・今野悠貴、徳野仁子】2020年11月15日公開
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「被爆したのはどこやったかな」。3月上旬、長崎市三ツ山町の特別養護老人ホーム「恵の丘長崎原爆ホーム」の診療室で、医師の朝長万左男さん(76)が、入居者の女性(91)に話しかけた。原爆が投下されたあの日、女性は16歳だった。市中心部にあった公設市場の2階にいた時のすさまじい光景を、静かに、そして事細かに語り出した。【撮影・徳野仁子、浅野翔太郎】2020年3月22日公開
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あの日、13歳だった。同級生192人が亡くなる大惨事を生き延びたが、ずっと負い目を感じながら過ごしてきた。92歳の今、「当時の記憶を伝えたい」との思いで、絵を描き続けている。【撮影・井村陸】2024年5月18日公開
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懐かしい教え子との40年ぶりの対面に自然と顔がほころんだ。長崎市の被爆者、山川剛(たけし)さん(87)は6月、同市の原爆資料館で小峰英裕(ひでひろ)さん(50)と再会した。1984年、山川さんが市立西町小で4年生の担任教諭を務めた時の児童の一人。山川さんは、こんな書き出しで小峰さんが当時つづった作文を大切に保管してきた。「ぼくのお父さんは西町で原ばくにあいました」――。【撮影・平川義之、尾形有菜】2024年7月9日公開
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核大国・米国のリーダーが交代した。核をめぐる状況が混沌とする中だからこそ、改めてヒバクシャの声に耳を傾けたい。広島の爆心地から約1.2キロ地点で被爆した坪井直(すなお)さん(91)。昨年5月、現職の米大統領として初めて広島を訪問したオバマ氏と手を握り、核廃絶への思いを新たにした。【撮影・山田尚弘、写真は小関勉、代表撮影】2017年1月30日公開
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